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「でかした」父の声が鳴り響いた…柔道男子100キロ級超の石井

 息子の死闘を見るときの“正装”は、市民大会も五輪も変わらない。義彦さんは、スーツ姿で最前列から観戦。金メダルの瞬間、両手を上げながら立ち上がった。
 「感動を味わわせてもらいました。一本を取れなければ、それに対応しながらやって結果を残す。自分の柔道を貫いて、戦ってくれました」
 応援団は「石井慧・景虎魂(上杉謙信の意)」とプリントした黒シャツで応援。その真ん中で、父は成長した子の姿を目に焼き付けた。
 義彦さんは日体大柔道部出身で、柔道の指導員を務めてきた。幼稚園のころから、遊び場は柔道場。“柔道ごっこ”を楽しむ息子へ、試しに勧めた。「お父さんは、人から柔道を教えてくれと言われる人間や。せっかくやからやってみんか」。清風中で本格的に始める前から、体作り。小学5年のとき、1日10回のスクワットを命じると石井は軽々とこなした。「お前すごいな」。1年後、気づくと息子は1日100回をこなした。見ていないところでも努力できる子。教育方針に確信をつかんだ瞬間だった。
 夫婦とも高校教師。清風中時代、弁当を作ったのは義彦さんだった。朝用、昼用の2箱とおやつ用のお小遣い。夕食は2時間かけて山盛り食べさせた。階段で吐くのを見て「下向いたらこぼれるやないか! 上を向いて吐け!」。体が資本と叩き込むためのスパルタ教育。“食育”が実り、体重は小学生で80キロ。超人的な練習量、五輪の5試合を戦い抜くスタミナは親子の絆の結晶だ。
 「みんな努力はしているけど、どこかで折り合いをつける。それを続けられるのがサトシのいいところなんです」
 誇らしげに場内を一周する長男に、カメラを向けた父。一生、記念に残る1日になった。(iza・イザ!)


石井慧選手、金メダルおめでとう。

筆者は、国内の大会で井上選手や鈴木選手ではなく、石井選手を応援した少数派日本人。

と言うのも、この親父さん、筆者の高校時代の体育の先生。
陰ではラオウと呼ばれてて、逆らうものなど一人とていなかった。

3年生の時の1500m走。
グラウンドを6周するのだが、筆者は典型的“逃げ馬”で、最初ったから飛ばしに飛ばす。
脚質や適正というよりも、ただ目立ちたいだけの姑息な考え。
合図とともに飛び出し、後続を引き離して二周目に差しかかろうという時に、先生にバツ印でストップさせられる。
 『(ストップウオッチが)動いてなかった(笑)』
当時、結構生意気だった筆者。
 「何、笑ってんねん! ふざけんなっ!」などとこの人だけには言えるわけもなく、ヘナヘナと座り込むのみ。
果たして、再開しての正式記録は、100キロデブに追いつかれそうになるほどの悲惨な結果になってしまった。

先生の前でタバコの箱を落としてしまったこともあった。
初めて人生で死を覚悟した瞬間かも知れない。
その時の先生の反応は
『バカヤロウ! 落とすんじゃねーよ!』とのワケのわからん一喝だった。
(当時は大阪弁ではなかった)
その時もヘナヘナと座り込んでしまったと記憶している。

10年ほど前に友人の結婚式で再会した時も直立不動で挨拶したのは言うまでもない。
向こうは筆者のことなんか覚えてなかったろうけど。

まぁ、それがどうしたって感じの話だが、筆者の話はほとんどがその程度なんでご容赦を。


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